这两天一直用Stable Diffusion进行AI绘画。这几篇都谈的的AI相关的内容。
实际上我在很早就已经体验并展示生成AI的效果了。这次讲一讲如何利用AI帮助日语学习。
要说处理自然语言,这可以说是类似ChatGPT的各种大模型最擅长的工作了,它们也许不能很好地解决数学问题,但在文科方面是很强大的。
其实我们学习语言就和各种AI大模型的训练是相似的过程,掌握语言离不开大量地阅读,在应用中不断地去纠正。对我们而言,并不缺少可用的数据,只是很少有人能接受得了如此大的量。同时,AI掌握的知识是多样的,覆盖了各个领域。那么我们完全可以向它请教,来了解一些自己不知道东西。
这个讲了如何利用ChatGPT学习英语,的确是一个很好的方法。
我试了一下国产的生成AI,表现得也不错,但是好像只会中文和英语,还不能用日语。
所以,就要使用一些多语言的大模型,除了ChatGPT,还有Google Gemini,Claude等。这些我都体验过了。
首先,与AI聊天的过程,就可以提升自己的表达能力,比如可以写这样一个Prompt,可以用日语,也可以不用。
“你扮演一个熟练掌握中文的日语母语者,会在交流过程中纠正对方的错误,并解答对方关于日语及日本文化的疑问”
当然还可以设定表达的层次,让它使用简单的表达,逻辑上容易懂。
问一些考试问题的作用其实与查词典或者常规的搜索也差不多,真正的目的其实是在于可以对一个问题进行追问,并让它生成更多的例子来进行说明。比如:
“告诉我给出的词的读音,以及它的具体用法,同时给我一些典型例句。”
“选择填空,接着说明理由并解释排除其他选项的理由。”
当然,还可以设定一个情境,让它生成一段包含给定词,文法的文章。很多书上也会有这种类型的练习,但是人想出来一个是不太容易的。
如果是阅读那更是不在话下,别说是我们平时的那种篇幅了,就算是数十万字的论文AI也能很好地理解,并且总结出来。所以只在于理解文字本身的各种阅读题就很容易得出正确的结果,也能非常好地给出位置和理由,这是不少人都做不到的。至于哪些更加深入的,比如到达鉴赏层面的就不一定了,事实上这本来就是主观的,对文章深层次意义的解读是因人而异的。
写作当然也不必说了,既可以让它生成一篇文章,也可以让它帮我们修改自己写的文章里的各种问题,并进一步润色。其实我看到很多生成的文章简直就是范文中的范文,众所周知外语写作主要就是看表达的丰富与准确,逻辑的清晰,这并不是一个难事。长久以来,我们在进行这种写作时就是去记住各种固定的表达和模式,或者说就是在写“八股文”。从这一点上看,其实我们很多人是完全不如AI的。这也不奇怪,没有足够大的数据量,自然没法使自己的话语有丰富多样。在读AI生成的内容时其实也就记住了更多,更加丰富的表达方式。
这并不是教大家如何偷懒,教大家去如何解决一些传统的搜索搜不出来的题,应付和过去同样的问题,因为AI并非回答都是正确的,只是会给出一个参考意见。我们学习语言不是只为了通过那些考试,而是真正掌握,并能够有效地运用,而这样的一个工具能够随时,不厌其烦地去回答我们的问题,哪怕是再奇怪,再难以去理解,对于许多人而言非常棘手的问题,让我们学习中可用的内容不局限于教材上以及老师说教的那么一点,而是能够更加广阔,甚至是原本不存在的东西。
下面展示这段时间我利用AI学习日语的情况,由于我已经具备了一定的水平,所以是直接使用日语进行提问,也是让它用日语回答的,如果还不能也是可以不这样用的。下面涉及的很多都是N1,N2水平的问题,是对生成结果都汇整,省略了提问已经生成内容中无效的部分。
各种AI在回答问题时都是默认使用敬体(です・ます体),这个也可以事先进行设定,但影响生成内容的意思,只是看起来更加简短而已。其中一些我自己不会的词标注了读音。
封面与头图也均为AI生成。
開眼(かいげん)
誤解や迷いが晴れ、真実や本質を理解することを意味します。つまり、新たな視点や真実に気づくことを指します。
例文:
彼との会話を通じて、私は自分の間違いに気づき、開眼した。
その体験を通じて、彼女は世界の広さに開眼した。
「開眼」は一般的に、新しい発見や洞察を明らかにし、過去の認識や予測を修正するときに使用されます。これは、知識や理解が広がったり深まったりしたときに使われる表現です。
出納(すいとう)
お金の出入り、特に会社や団体での会計を管理することや、そのための記録のことを指します。具体的には、収入と支出を記録する会計業務や、それを行う部署や担当者のことを言います。
例文:
出納帳をつける
出納係に報告する
彼は会社の出納を担当している。
間髪(かんぱつ)
文字通りには「髪の毛の間」という意味ですが、比喩的には「時間の余裕が全くない」という状況を表す場合に使われます。
「間髪を入れず」という形でよく使われ、「何かがすぐに、迅速に行われる」ことを示します。
例文:
彼は質問をされると間髪を入れずに答えた。
粗利(あらり)
経済やビジネスの用語で、売上から直接的な販売費用や商品の原価を差し引いた後の利益のことを言います。これは総利益とは異なり、売上高から売上原価を引いたもので、間接費などは含まれていません。
計算式は:
粗利(粗利益) = 売上高 - 売上原価
売上原価とは、売上を生み出すために直接かかった費用の合計です。これには原材料費、製造労務費、直接労働費、製造間接費などが含まれます。
例:
商品Aを100円で1000個売ったときの売上高は100,000円になります(100円 × 1000個)。
商品Aの製造にかかった原価が50,000円だった場合、粗利は以下のように計算できます。
粗利 = 売上高 - 売上原価
粗利 = 100,000円 - 50,000円
粗利 = 50,000円
この結果、商品Aを販売して得られた粗利益は50,000円になります。
例文:
この取引からの粗利は30パーセントだった。
他人事(ひとごと)
自分には直接関係がないこと、または自分のことでないかのように無関心でいる態度を表す言葉です。
例文:
災害のニュースを見ても、それが遠い地域のことだと多くの人は他人事のように感じてしまうものだ。
彼女は会社のリストラが発表されたとき、自分の部署(ぶしょ)が影響を受けないと他人事のように話していた。
学校でいじめがあると聞いても、自分の子供が関わっていないと親は他人事だと思いがちだ。
彼は友人が困っているのを見ても、何も感じないかのように他人事として扱った。
社会問題について話し合うとき、自分に直接影響がない問題は他人事だと思われがちだが、社会全体として考えるべきだ。
この表現は、感情的な距離や、事柄に対する関心の欠如(けつじょ)を示唆(しさ)しています。
不束(ふつつか)
人が自分自身の行いや品性について謙遜していることを示す言葉です。もともとは「束ねる(たばねる)ことが十分でない」という意味から、行き届かない、未熟であるという意味合いを含んでいます。礼儀を示す場面や親しみを込めた会話の中で用いられることが多いです。
例文:
外国の友人をもてなす際には、日本の文化を十分に説明できず、不束者で申し訳ございません。
普段からあまり料理をしないので、手料理ですが少々不束ですが、どうぞ召し上がってください。
まだまだ不束者ですが、先輩方のご指導のもと精進して参りますので宜しくお願いいたします。
会釈(えしゃく)
軽いおじぎのことを指し、挨拶や感謝、敬意の表現として行われます。頭をちょっと下げる程度の動作で、通りすがりに顔見知りに遭遇したときや、軽い挨拶を交わす(かわす)ときなどに使われます。また、劇などの最後に出演者が観客に対して行う軽いおじぎも会釈と呼ばれます。
例文:
道ですれ違った知り合いに軽く会釈を交わした。
会議が終わり、会場を後にする際に主催者に対して会釈をした。
彼女はステージ上で演奏を終え、観客に軽く会釈して感謝の意を表した。
取り出す(とりだす)
物理的に何かを中から外へ出す行為や、ある状態から別の状態に引き出すことを指します。また、話題や情報、資料などを提起することにも使われます。使い方は非常に多岐(たき)にわたります。
例文:
彼はバッグから財布を取り出してレジで支払いをした。
会議で彼女は重要な資料をフォルダから取り出し、皆の前に展開した。
急患で医者はポケットから携帯電話を取り出し、救急隊に連絡を取った。
レポートを書くために、彼は図書館で多くの参考書を本棚から取り出した。
先生は子供たちの興味を引き出すために、魔法のような実験を取り出した。
何卒(なにとぞ)
相手に何かを頼んだり、理解や協力を求めたりする際に使用される丁寧な言葉です。これは、お願いをする際の謙虚な気持ちを表現するときによく用いられます。
例文:
今後とも変わらぬご支援を何卒よろしくお願い申し上げます。
何卒この件についてご検討いただけますと幸い(さいわい)です。
遅刻してしまい、誠に申し訳ありません。何卒ご容赦(ようしゃ)ください。
贔屓(ひいき)
「屓」の漢字が鼻息(はないき)を荒くすることを表し、「贔屓」は、鼻息を荒くして力(りき)んだり、力を込めるという意味で用いられたことに由来します。
こちらは、他よりも特定の人や物に対して特別な好意や支援をすることを意味します。また、無意識にあるいは意識的に行われることがあり、しばしばスポーツやビジネス、芸能界などで使われる言葉です。また、同じ意味で「お気に入り」とも言い換えられることがあります。
例文:
彼はいつもそのレストランを贔屓にしている。
監督は特にその選手を贔屓にして起用することが多い。
その芸能人は大衆からの強い贔屓を受けている。
彼女は贔屓の客には少しサービスを多めにすることがある。
続柄(つづきがら)
人と人との間の関係やつながり、特に法律や社会的な立場を示す用語で、血縁(けつえん)や婚姻によって定められる関係性を指します。たとえば親子、夫婦、兄弟姉妹、親族などの関係を指し示す際に使われます。公的な書類や戸籍に記載される場合もあります。
例文:
戸籍謄本(とうほん)には各人の続柄が記載されています。
結婚によって彼女の続柄は「妻」に変わりました。
甥は彼にとっての続柄は「甥」になります。
緊急連絡先の欄には続柄を明記してください。
姦しい(かしましい)
騒がしい、うるさいといった意味を持つ日本語の形容詞です。多くの人が同時に話すなどして、耳障り(みみざわり)なほどに騒がしい様子を指して使われます。
例文:
子供たちが遊んでいてとても姦しい。
居酒屋は金曜の夜になると姦しい。
彼女は会議中、周りが姦しいとぼやいた。
「とっさに」と「さっさと」の違い
車が飛び出してきて[?]避けた。
1 さっさと 2 とっさに
「とっさに」という言葉は、突然の事態に迅速に反応する時の行動を表す言葉です。
一方、「さっさと」という表現は、何かを迅速に、あるいは手早く済ませる様子を指しますが、必ずしも緊急の反応とは限りません。
したがって、車が飛び出してくるような緊急事態には「とっさに」の方がふさわしく、反射的に避ける行動を指すのに適しています。
とっさに
熱いお茶をこぼしそうになった瞬間、彼女はとっさにカップをつかんだ。
ボールが顔に飛んできたけど、とっさに手を出して防げたよ。
地震が起きたとき、彼はとっさに机の下に隠れた。
さっさと
もう遅いから、さっさと宿題を終わらせなさい。
彼女はさっさと準備をして、パーティーに出かけた。
早く帰りたいから、さっさと会議の議題をまとめよう。
ふさふさ
何かが密に生え揃っている様子や、毛髪などが豊かに茂(しげ)っている様子を表現します。
例えば、動物の毛がふさふさとしている、草花がふさふさと茂っているなどの場面で使用されます。
かさかさ
乾燥した感触や音を表現するときに用いられます。
例えば、乾いた葉っぱや土がかさかさと音を立てる、乾燥した風がかさかさと吹くなどの状況で使われます。
~やら~やら
大事に育てた娘が結婚することになって嬉しい[?]寂しい[?]複雑な気持ちだ。
1 か、か 2 と、と 3 やら、やら 4 など、など
この文脈では、「やら、やら」を使うことで、「嬉しい」だけでなく「寂しい」や「複雑な気持ち」など、複数の感情や状況が混在していることを表現できます。
つまり、娘が結婚することになって感じる感情が一つではなく、複数の感情が入り混じっているため、「やら、やら」という表現が適切だと言えます。
例文:
彼は旅行に行くために、洋服やら、靴やら、必要なものを用意していた。
今日の天気は曇りやら、雨やらで、不安定な一日になりそうだ。
学校のイベントでは、ダンスやら、演劇やら、楽しいことがたくさんあった。
「やら、やら」はリストアップ(list up)する事柄が明確でない場合や、複数の項目を列挙する場合に使われ、そのリストが限定されないことを表現します。
という といった
「私に天使が舞い降りた!」[?]アニメが、世界中で人気があるそうです。
1 といった 2 という 3 とする 4 になる
「といった」は、特定の事柄や要素を述べる際に使用される表現であり、前後の文脈から考えると、「私に天使が舞い降りた!」という具体的なアニメ作品を指して「といった」という表現が適切です。このようにすることで、「私に天使が舞い降りた!」という特定のアニメが世界中で人気があることを強調し、具体性を持たせる効果があります。
「という」と「といった」は、似ているようで微妙に異なるニュアンスを持っています。
「という」は、述べられた情報や事柄を指し示す際に使用されます。一方で、「といった」は、前述のものや内容を強調する際に使用され、「という」と比べて具体性や強調の意味合いが強いと言えます。
例えば:
「最近、新入社員が増えています。その中で、山田さんという人がとても活発で社内で人気です。」(「という」:山田さんに関する特定の情報を指し示す)
「最近、新入社員が増えています。その中で、山田さんといった人がとても活発で社内で人気です。」(「といった」:山田さんの特性や性格が他と比べて際立っていることを強調)
~に至っては
【2023B-N2-31】私の3人の兄はみんな料理が苦手で、一番上の兄[?]、卵もうまく割れない。
1 にとって 2 にしては 3 に比べて 4 に至っては
この文は、兄弟たち全体が料理が苦手である中で、特に一番上の兄が卵を上手く割ることができないという状況を表しています。
「に至っては」は、特にその事柄が際立っている場合や強調するときに使用される表現です。
例文:
メンバー全員が練習に出席するのに対して、リーダーに至っては、一度も遅刻したことがない。
彼女の友達は皆親切だが、彼女に至っては、とても気配りができる。
家族全体が健康に気を配っている中で、父に至っては、運動不足を改善する決意をした。
これらの例文では、「に至っては」が、他の人やグループと比較して特定の人物や事柄を強調する際に使用されています。
来週の説明会に参加しない[?]、この書類は必ず読んでおいてください。
1 とはいえ 2 にかかわらず
この文の意味は、説明会に参加しないという状況であっても、書類の読み込みや情報を確認する必要があるということを示しています。
ここで使用されている「にかかわらず」は、ある条件や状況に関係なく、その他の行動や必要性を強調する表現です。
部屋が散らかっているところから、山田さんは急いで家を出たのだと思う。
この文中の「ところから」は、状況や状態を示す際に使われています。具体的には、部屋が散らかっているという状況が示され、それを理由や背景にして、山田さんが急いで家を出たのだと推測されていることを示しています。
つまり、部屋が散らかっていたことから、山田さんが急いで出かけたと判断した理由を示す言い方になります。
例文:
雲行き(くもゆき)が怪しいところから、外出は控えた方がいい。
試合に遅刻しそうなところから、急いで走った。
病気がちなところから、健康に気をつけている。
このように、「ところから」は前の事柄が原因や根拠になり、その結果何かが生じたことを表す接続詞として使われます。因果関係を明確に示す役割があります。
~ともなると
連休[?]、帰省ラッシュで渋滞がすごい。
1 ともなると 2 とすれば 3 にしては 4 としては
「ともなると」が最も適しています。「ともなると」は、ある状況や条件が発生したときに、それに伴って通常期待される現象や結果を説明する際に使う表現です。連休になると、多くの人が休みを利用して帰省するため、渋滞することが一般的に予想されます。ですから、「連休ともなると」という表現が、この文脈で自然で理にかなっています。
例文:
これらの例では、特定の時期やイベントが「ともなって」それに関連する一連の典型的な活動や変化が起こることを表しています。「ともなると」はこうしたケースで使われ、一定の状況下で自然と予想される結果を説明するために用いられます。
「とすれば」は、「もし~とするならば」という仮定の状況を話す際に使用します。実際に起こっている現象を説明する場合には適切ではありません。
「にしては」は、期待や規範と比較して、実際の状況がそれに見合わない、期待外れ、もしくは逆に予想を上回っている場合に使います。この文脈では、連休に渋滞が発生することは予想通りなので、不適切です。
「としては」も「にしては」と同様に、ある基準や規範に照らし合わせて考える場合に使います。こちらも予想内の事象を説明しているため、文脈にそぐわないです。
「としては」や「にしては」との違い
「としては」
ある役割、立場、状態などを基準として、それに則った評価や判断を下す時に使います。一定の基準に基づいて何かを評価する際の表現です。
例えば、
彼は初心者としては上手にスキーをする。
「初心者」という基準に対して「上手にスキーをする」という評価をしています。
「にしては」
期待や一般的な規準に比べて、その事象が特異である場合に使います。通常予想される水準と比較して、それが思ったよりも良いか悪いかを述べる際に使われる表現です。
例えば、
彼は子供にしては落ち着いている。
「子供」という規準に対して通常期待されるよりも「落ち着いている」と評価しています。
両者は似ているが、文脈によって微妙にニュアンスが異なります。「にしては」は期待との比較で使い、「としては」は特定の立場や状況を前提にした上での評価に使うという点が異なります。